ありえない話はありえる話!傲慢な姿勢より謙虚な姿勢が人を育てる
こんにちは。
くみこママです♡
『美しい生き方』特集第4回目です。
今回は「ありえない」という言葉の表現や注意点を指摘しています。
「こんな時にありえない・・・」
「このミスはありえない!」
「ありえない事件が起きた!」
そんな時の「ありえない」発言。
そろそろ、全てが「ありえる」話であるという事に気づいて欲しいものです。
「ありえない」のではなく「ありえる」のだ
「ありえない」
という言葉を使ったことのある人はどれほど多いでしょう。
「起こるはずがない!」
「起きてはならない!」
「非常識な事で起きるべきではない!」
と言いたいのでしょうが、「ありえない」という言葉の裏には次のような傲慢な意味が含まれているのです。
“起こるべき事と起こるべきでない事は全部、私の常識に沿って決まるのだ。他人と世界はそれに従うべきだ”
というニュアンスが含まれている事に気付いての発言でしょうか?
上から目線に
「こんな事はありえないよね?」
そんな発言を耳にすれば、どんなに自分より歳上で、どんなにえらい人であっても
「ああ、この人のレベルは低いんだな」
「この人の視野の狭さがうかがえる」
と逆につい冷めた目で見下してしまいそうです。
いったい何者なんだ?!
という話しです。笑
言葉の裏の意味を理解しているなら別です。
「(自分は)ありえない事だと思っていたけど、こんな事がありえるんですね」
という発言であれば、言葉の意味を理解して使っている人です。
「何それ、ありえないよね~」
などと、完全否定しながら微妙に馬鹿にしている使い方をする方が多いのは非常に残念なことです。
単純に「ありえない」という言葉を連用している人を目の当たりにすると、人として恥ずかしく感じます。
完璧なものなど存在しません。
美しい生き方をしている、または志す方は「ありえない」という言葉を軽んじて使うべきではないのです。
むしろ、
どんな結果であろうが事実をしっかり受け止め、いつも謙虚である姿勢が美しく上品なのです。
空気を読めないなんて「ありえない」。
普通は失敗しないだろうと思える部下の失敗は「ありえない」。
あるいは、有名人の事件や凶悪犯罪は「ありえない」。
「ありえない」は、人の傲慢さからくる言葉です。
現実は、
自分の思惑を超えてあらゆる事が起こるのが当たり前だと謙虚になるべきです。
間違いは「ありえる」。
理不尽な扱いは「ありえる」。
地震や家事などの災害リスクが「ありえる」。
人の裏切りは「ありえる」。
事件や犯罪は「ありえる」。
この世の出来事は全て「ありえる」事ですよね。
「ありえる」から次の発展に繋がるということ
事実は全て「ありえない」のではなく「ありえる」ことだと認めることで、視野が広がります。
「ありえる」問題だから、今後何に気をつけないといけないのか?という視点が見えてくるものです。
「ありえない」という言葉は、否定的で不寛容です。
「ありえる」という言葉は、肯定的で寛容です。
人は認められる為に生きていると言って過言ではありません。
自分の行動を、
自分の失敗を、
自分の一部を、
「ありえない」
と言われればただ不快に思うだけに過ぎません。
ですが、
「ありえるから、こうした方が良かったですね。」
と言われれば、事実を見つめてやる気がでたり、反省をしたり、注意をしたり、新たな方法を編み出したり、次に活かす事に繋がるのではないでしょうか。
人の失敗は「ありえる」。
だから、未然に失敗を防ぐ方法を考える事ができます。
配偶者の浮気も「ありえる」。
だから、お互いに配慮し合う事が大切なんだと思うことができます。
犯罪が存在する事も「ありえる」。
だから、気を引き締める事ができます。
家族のいない孤独な状態だって「ありえる」。
だから、家族に感謝できます。
この世に産まれていない事も「ありえる」。
だから、親に感謝しないといけないと思うことができます。
人ができることはたかがしれています。
「ありえる」という意識から結果がついてくるものでもありません。
ですが、
私やあなたの、
そして世間の「ありえる」事だらけの事実を謙虚に受け止め、積み重ねていく事で、より賢くより多くの知識や経験を構築していけるのではないかと考えます。
以上、
『美しい生き方』第4回目でした♡
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